今日は人形供養してもらう為に、近くの門戸厄神に人形を納めに行ってきた。

この人形は、寝かせると目を閉じる頭部と手がセルロイドでできた赤ちゃん人形だ。
ぶーが物心ついた時にはもう家に居たので、実に半世紀を共に過ごした事になる。
その割に痛みは少なく、大きな修繕をした記憶もない。
肌の色は少し黒ずんではいるもののまだ十分きれいだし、首のすわりは悪いが傾げている程度だ。
母の生前は、母がこまめに季節に合った服に着替えさせ、母の部屋で過ごしていた。

母が亡くなって、自分の今後を考えた時、この人形だけは自分で供養してやりたいと思った。
極端な言い方をするなら、この子を残しては死ねないと思った。

来月で母が亡くなって1年になる。
人形供養は年に1度、11月に行われる。
今を逃すとまた来年まで待たなければならない。
今年は19日に行われるが、ちょうどその日からぶーは春に行なった心臓カテーテルの術後検査入院をしなければならない。
そのため、人形供養に参加できないのが唯一残念だ。

この人形には忘れられないエピソードがある。
ぶーがまだ幼稚園に入る前だったと思う。
当時、ぶーの両親は共働きで、ぶーは近所に住む母方の祖父母の家に夜まで預けられていた。
祖父母の家は少し高台にあり、ぶーの家の方を見下ろすことができた。
ある夕暮れ時、2階の祖母の部屋にいたぶーは窓の外の景色がやけに赤黒いことに気付いた。
よく見ると、家の方角から黒煙が立ち上り、赤い火柱が見えた。
慌てて家の人に知らせると、祖父母と同居していた叔父の奥さんが、手を引いて家の方まで連れて行ってくれた。

家から数百メートルの距離まで来たところで、人込みや消防のため近づくことができなかったが、
天高くそびえる煙と炎の壁を今も忘れない。
大人たちは全てが燃えたと思ったと言う。
しかしぶーは、「あの人形が死んだ」と思った。
人形が死んだと泣き喚き、周囲の大人を困らせた。

火事がようやく鎮火しかけたころ、両親が職場から戻ってきた。
奇跡的にも家は焼け残っていた。

ぶーの家は5軒が繋がった長屋で、火元側の端の家だった。
ここに火が移ると5軒が全焼だという事で、消防士さんが全力で守って下さったらしい。
玄関を蹴破り、台所のプロパンガスのボンベを運び出し、絶えず放水し延焼を食い止めてくれた。

鎮火後、家の中は泥だらけの水浸し、家具なども大きなダメージを受けたが、
『あの人形』は無事だった。
傷一つなく、汚れ一つなく、ぶーのベッドで静かに目を閉じて眠っていた。

火事の火元は3軒先の一軒家だった。
その周りの4〜5軒ほどがほぼ全焼した。
民家が少ないのに火が大きくなったのは、裏に広がっていた小さい森のせいだ。
その森は全焼した。

それから50年。
ぶーは今日、『その人形』に本当の、そして最後のお別れを告げた。

いままで、見守ってくれありがとう。